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株式会社十字屋(じゅうじや、英文表記:''JUJIYA Co.,Ltd'')は、かつて商業施設展開などを行っていた日本の企業。2007年(平成19年)1月16日に株式会社ダイエーに吸収合併された〔。 現在十字屋山形店のみが同じダイエーの子会社・株式会社中合(福島県福島市)により店舗名もそのまま維持して営業を続けている日本の百貨店である〔上田泰嗣、辻本貴洋 (2005年10月12日). “十字屋山形店、「中合」に営業を譲渡 屋号、雇用は継続”. 毎日新聞 (毎日新聞社)〕。 == 概要 == 1923年(大正12年)12月に神奈川県平塚市に十字屋呉服店として創業して1935年(昭和10年)2月に株式会社十字屋呉服店として法人化した〔。 1954年(昭和29年)6月には商号を株式会社十字屋に変更して本店を東京都中央区日本橋橘町に移転し、翌年1955年(昭和30年)2月に株式会社十字屋洋装店など関連企業20社と合併して1961年(昭和36年)3月に本店を東京都台東区柳橋に移転した〔。 1961年(昭和36年)10月に東京証券取引所市場第二部に上場し、1968年(昭和43年)1月には同市場第一部に上場した〔。 1967年(昭和42年)には百貨店に業態変更した。 仙台店(宮城県仙台市)や山形店(山形県山形市)、銚子店(千葉県銚子市)、館山店(館山市)等の百貨店も経営し、1971年(昭和46年)6月に大丸と業務提携して百貨店事業の強化を図った〔。 大規模の衣料品スーパーも経営〔昭和40年代始めにはJOAK(J-十字屋、O-扇屋、A-赤札堂、K-キンカ堂)としてスーパー業界4強の一角に挙げられていた。〕する様になり、1982年(昭和57年)からはダイエーグループに参入。バブル期には首都圏を中心に70店近い店舗を構えたが、経営が行き詰まり、店舗を全て閉鎖、撤退させ、事業のスリム化を図ってきた(店舗の一部は後述のクロスティとなっていたが、これも百貨店事業と同じ2005年11月30日に営業終了し、撤退した)。 1976年(昭和51年)11月10日付の新聞でダイエーが当時筆頭株主だった丸紅から1,000万株を取得したことが明らかになり〔貴島操子 『ジャスコ急成長の秘密 連邦経営がもたらしたもの』 評言社 、1977年5月。ISBN 978-4828200057〕、1982年(昭和57年)3月に株式会社ダイエーと業務提携してその傘下に入り〔、1996年(平成8年)9月1日にはダイエー系デベロッパーの株式会社ダイエー・アゴラと合併して業績改善のため大型商業施設「OPA」事業を譲受して、主力事業の一つとした。 2004年(平成16年)12月28日に親会社のダイエーと共に、産業再生機構の支援決定を受けて〔再建手続きに入り、2005年(平成17年)11月30日をもって仙台店・銚子店〔・館山店〔を閉店し、残る山形店については同じダイエーの子会社・株式会社中合(福島県福島市)に12月1日に経営権を譲渡して十字屋は事実上百貨店事業から撤退した〔。 更に、2006年(平成18年)3月1日には、施設運営部門(OPAやステーションパーク)とHIPIN事業部門に関する営業を分割し、新設の株式会社OPAに承継させている。 その結果、従業員の居ない企業となり事実上休眠化した十字屋を、親会社のダイエーが簡易合併手続で吸収合併する事になり、2006年(平成18年)12月14日に合併契約書が締結、2007年(平成19年)1月16日に創業から80余年の歴史に幕を閉じた〔。 この吸収合併により、十字屋の子会社であった(ダイエーにとっては孫会社であった)OPAがダイエー(現在のイオン傘下)の直接の完全子会社となった。 。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「十字屋 (百貨店)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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